能登上布とは|2000年の歴史を持つ石川県の伝統織物【2026年】

能登上布の透明感のある織物をイメージした画像
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「蝉の羽」と称されるほどの透明感と軽さを持ちながら、驚くほど丈夫。石川県中能登地方に約2000年前から伝わるとされる高級麻織物「能登上布のとじょうふ」は、かつて全国一の生産量を誇りながら、今ではたった1軒の織元によってその技術が守られています。さらに、能登の繊維産業では、世界的に評価された「天女の羽衣てんにょのはごろも」を生んだ企業の破産という厳しい現実もありました。この記事では、能登上布の歴史・特徴から、能登の繊維産業が直面する現状と挑戦まで、詳しく解説します。

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能登上布のとじょうふとは|「蝉の羽」と称される幻の高級織物

能登上布は、石川県中能登地方で織られる苧麻(ちょま)を100%使用した高級麻織物です。リネン(亜麻)よりも涼しく、「蝉の羽」にたとえられるほどの透け感と軽さを持ちながら、丈夫で長く愛用できるのが特徴です。

かつては皇室への献上品にも選ばれた最高級の織物でしたが、現在では生産できる織元がわずか1軒にまで減少している、いわば「幻の織物」となっています。

2000年の歴史|崇神天皇すじんてんのうの時代から皇室献上品まで

能登上布の起源は、約2000年前にまでさかのぼるとされています。第10代崇神天皇すじんてんのうの皇女・沼名木入比賣命(ぬなきいりひめのみこと)が、中能登地方で機織りの技術を教えたという伝承が残っています。

江戸時代に入ると技術がさらに向上し、1818年(文政元年)には「能登縮(のとちぢみ)」が誕生。明治時代には全国でも屈指の高級織物として評価され、明治37年(1904年)には皇太子殿下(後の大正天皇)への献上品に選ばれるほどの名誉を得ました。戦後の1960年には、石川県の無形文化財に指定されています(能登上布公式サイト羽咋市公式サイトより)。

昭和初期の最盛期から、織元1軒への衰退

能登上布は、昭和初期の1928年頃に最盛期を迎えます。当時、中能登地方の織元は120軒以上にのぼり、石川県の麻織物生産量は全国一を誇っていました。

しかし、第二次世界大戦後、着物を日常的に着る文化が失われていくにつれて需要は減少。後継者不足も重なり、織元は年々姿を消していきました。現在、能登上布の伝統技法を受け継いでいるのは、1891年(明治24年)創業の山崎麻織物工房ただ1軒のみです。約130年にわたり、染物屋として始まったこの工房が、能登上布という文化そのものを支え続けています。

希望もあります。4代目代表の山崎隆氏は、約20年間の会社員生活を経てUターンし、家業を継承しました。現在の工房には20代から70代まで幅広い年齢層の職人が在籍し、地元美術大学の染織コース卒業生など、全国から志願者が集まっているといいます。織元は1軒になっても、技術を次世代へつなごうとする動きは確かに続いています(出典:職人図鑑)。

能登半島地震からの復興|19人の織り手が支えた再起

2024年元日、能登半島地震が発生した際、久世英津子専務は能登へ向かう車の中でこの揺れに遭遇しました。発災から30分後に工房へ駆けつけると、1階の織機は軽微な転倒で済んでいたものの、糸の下準備を行う2階では、機械が倒れ「言葉が出なかった」ほどの惨状が広がっていたといいます。

工房周辺では100棟以上の建物が被災・解体され、約2週間にわたる断水が続くなど、生活基盤そのものが大きな打撃を受けました。工房の母屋(築90年)も準半壊の判定を受け、壁や梁にひび割れが生じ、床は最大6cm沈下しました。

糸を準備する整経機が故障し、約1ヶ月間生産が停止する事態にも見舞われましたが、織り手19人が発災からわずか10日後に集まり、作業を再開。2026年4月時点で、工房は再び稼働しています。母屋の耐震補強工事は2026年秋に予定されているものの、公的な生業補助金の対象外となっているため、催事出展での販売収益をもとに、少しずつ資金を積み上げているのが現状です(出典:sirosiru)。

地震からの復興後、再び動き出した織り機のイメージ

※AIによるイメージ画像です。

次世代への継承|鹿西高校染織部とフィンランド大統領夫妻の来訪

能登上布を受け継ごうとしているのは、山崎麻織物工房だけではありません。中能登町の鹿西高校には染織部があり、生徒たちが実際に織機を使って能登上布の織布活動に取り組んでいます。

2025年6月9日には、来日中のフィンランド・ストゥブ大統領夫妻が同校を訪問。スザンヌ大統領夫人が「織ってみませんか?」という部員の呼びかけに「Of course!」と快諾し、実際に織布を体験しました。ストゥブ大統領も部員数や活動頻度、織り上げた布の活用法について熱心に質問するなど、能登上布という地域の伝統工芸が、思いがけない形で国際交流の舞台にもなっています(出典:石川県立鹿西高等学校)。

能登上布の特徴|苧麻100%が生み出す独特の透明感

能登上布の最大の特徴は、苧麻を100%使用した素材にあります。一般的なリネン(亜麻)とは異なる植物繊維で、涼しさと軽さ、そして独特の透明感を生み出します。

柄の面でも独自性があります。一般的な絣(かすり)織物は糸を括って染める「括り技法」が主流ですが、能登上布では「櫛押捺染(くしおしなっせん)」「ロール捺染」という独自の技法を用いることで、にじみの少ない緻密で凛とした絣柄を生み出しています。複雑な幾何学模様の十字絣が代表的な柄として知られています。

また、手織りならではの質感も魅力のひとつです。使うほど、洗うほどに柔らかく肌になじんでいくため、長く愛用できる織物として評価されています。

能登上布の「蝉の羽」のような透明感のある織物のクローズアップ

※AIによるイメージ画像です。

制作工程|完成まで2ヶ月以上かかる緻密な技法

能登上布の反物は、一反を仕上げるのに2ヶ月以上を要します。糸の準備から染色までにおよそ1ヶ月、そこから機にかけて織り上げるまでにさらに1ヶ月という、気が遠くなるような手間をかけて1枚の反物が完成します。

この工程の長さこそが、能登上布が「量産できない、幻の織物」と呼ばれる理由でもあります。

能登の繊維産業が直面する危機|「天女の羽衣」天池合繊の破産

能登上布が象徴するように、能登の繊維産業は長年、後継者不足という厳しい課題と向き合ってきました。この課題は、能登上布だけの話ではありません。

七尾市に本社を置いていた天池合繊あまいけごうせんは、2005年に世界最軽量・最薄クラスの織物「天女の羽衣」を開発。その卓越した技術力は国内外から高く評価され、ルイ・ヴィトンなど海外の高級ブランドにも採用されたほか、2019年に大阪で開催されたG20サミットでは、各国首脳夫人へのギフトとしてこの生地で作られたスカーフが贈られました。

しかし、高い技術力を持ちながらも営業力が一部のトップ営業担当者に依存していたことに加え、新型コロナウイルス禍によるアパレル業界の不況が重なり、天池合繊は2021年6月に事業を停止し、同年10月に破産手続きが開始されました(負債額約4億7,000万円)。「天女の羽衣」の技術・ブランドは、その後設立された新会社「Amaike」に引き継がれています(出典:北國新聞WWD JAPAN)。

世界的に評価された技術力を持つ企業でさえ、事業継続が難しくなるという事実は、能登の繊維産業が直面する構造的な厳しさを物語っています。

それでも続く挑戦|丸井織物とNOTO SNOWが示す新しい道

一方で、同じ能登の繊維産業から、新しい希望も生まれています。石川県を代表する繊維メーカー丸井織物は、AIを活用した高機能素材「NOTO SNOW」で大きな注目を集め、伝統的な織物産地から生まれた製品として異例のヒットとなりました。

能登上布のように「守り抜く」ことに価値がある伝統技術がある一方で、丸井織物のように「時代に合わせて進化する」ことで新たな価値を生み出す道もあります。どちらも、能登の繊維産業が積み重ねてきた技術力があってこそ実現できるものです。

新ブランド「YAMAZAKI NOTOJOFU」|着物の枠を超えた小物展開

山崎麻織物工房は近年、着物という枠にとどまらない新ブランド「能登上布 YAMAZAKI NOTOJOFU」を展開しています。ストールや小物といった、日常に取り入れやすいアイテムを中心に、三越伊勢丹オンラインストア銀座もとじといった専門店でも取り扱われています。

三鷹店・名古屋タカシマヤなど、全国の百貨店でポップアップイベントも開催されており、着物になじみのない層にも能登上布の魅力を届ける取り組みが続いています。公式Instagram(@notojofu)でも、5,000人を超えるフォロワーに向けて日々の制作風景や新作情報が発信されています。

能登上布の絣柄を使った現代的な小物アイテムのイメージ

※AIによるイメージ画像です。実際の商品とは異なります。実物はこちらでご確認いただけます。

有名ブランド・アーティストとのコラボレーション

能登上布の技術は、他ブランドやアーティストとのコラボレーションでも注目を集めています。

  • BEAMS JAPAN × 山崎麻織物工房:セレクトショップ「BEAMS JAPAN」とのコラボで、コインケース・名刺入れ・別注ブローチなどを商品化。能登の自然を思わせる落ち着いた色合いと絣柄が、ビジネスシーンにも取り入れやすいアイテムとして展開されています(BEAMS JAPAN公式)。
  • SUGIZO × 中能登町:ミュージシャンのSUGIZO氏が中能登町と共同で、地元繊維業者グループ「TEXSIL」が手がける「ネオ能登上布」を使ったトートバッグを開発。能登のシンボルであるイヌワシとクロユリをデザインに取り入れ、ふるさと納税の返礼品としても採用されています(北國新聞)。

いずれも、能登上布そのものの技術・文化的価値が、ファッションや音楽といった異分野からも評価されていることを示す事例といえます。なお、能登上布を使った品は、中能登町のふるさと納税の返礼品としても選ぶことができます。

能登上布はどこで購入・見学できる?

能登上布は、唯一の織元である山崎麻織物工房や、能登上布の公式オンラインストアで購入できます。反物だけでなく、ストールや小物など、日常に取り入れやすいアイテムも展開されています。セレクトショップ「ZUTTO」の取扱ページでも、ポーチや名刺入れなどの商品を見ることができます。工房見学ができる場合もあるため、訪問を検討する際は、事前に公式サイトで最新の受け入れ状況を確認することをおすすめします。

実際に製造工程を見学したい場合は、中能登町の「能登上布会館」もおすすめです。製造見学のほか、機織り体験(半日コース・1日コースあり、要予約)もできる施設です。営業時間は4〜9月が9:30〜16:00、10〜3月が10:00〜15:00で、定休日は月曜日、入館は無料です。アクセスはJR金沢駅から能登部駅下車後徒歩10分、車の場合はのと里山海道経由で約10分です。体験の料金・予約状況は変更されている可能性があるため、訪問前に最新情報を確認してください。

よくある質問

能登上布とは何ですか?

石川県中能登地方で作られる、苧麻(ちょま)を100%使用した高級麻織物です。「蝉の羽」と称されるほどの透明感と軽さが特徴で、約2000年の歴史を持つとされています。かつては織元が120軒以上ありましたが、現在は山崎麻織物工房が唯一の織元となっています。

能登上布の歴史はどのくらい古いのですか?

起源は約2000年前、第10代崇神天皇の皇女が中能登地方で機織りを教えたという伝承にさかのぼります。江戸時代の1818年には「能登縮」が誕生し、明治37年には皇太子殿下への献上品に選ばれるほどの高級品となりました。

なぜ能登上布の織元は1軒だけになったのですか?

昭和初期の1928年頃が最盛期で、織元は120軒以上、石川県の麻織物生産量は全国一を誇りました。しかし戦後、着物を日常的に着る文化が失われていく中で需要が減少し、後継者不足も重なり、現在は1891年創業の山崎麻織物工房のみが伝統技法を守り続けています。

能登の繊維産業は今どうなっていますか?

厳しい状況が続いています。世界最軽量の織物「天女の羽衣」で国内外から高い評価を受けていた七尾市の天池合繊は、高い技術力を持ちながら2021年に破産しました。一方で、丸井織物のように高機能素材「NOTO SNOW」でAI技術を活用した新しい成功例も生まれており、伝統技術を継承しながら現代的な価値を生み出す挑戦が続いています。

能登上布はどこで購入・見学できますか?

唯一の織元である山崎麻織物工房や、能登上布の公式オンラインストアで購入できます。工房見学ができる場合もあるため、訪問前に公式サイトで最新情報を確認することをおすすめします。

まとめ|能登上布

項目 内容
起源 約2000年前、崇神天皇の皇女が機織りを伝えたという伝承
最盛期 昭和初期(1928年頃)・織元120軒以上、全国生産量1位
現在 山崎麻織物工房(1891年創業)が唯一の織元
特徴 苧麻100%・「蝉の羽」の透明感・独自の櫛押捺染技法
制作期間 一反あたり2ヶ月以上

能登上布は、2000年の歴史を1軒の織元が守り続ける、まさに「幻の織物」です。同じ能登の地では、世界的に評価された技術を持つ企業が破産するという厳しい現実がある一方、丸井織物のように伝統の土壌から新しい成功を生み出す挑戦も続いています。能登の繊維産業がこれからどう歩んでいくのか、その動向にはぜひ注目していきたいところです。

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